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太平洋ゴミベルト

Posted by msmoshi on 06.2012 メモ   0 comments   0 trackback
ハワイの西に位置する廃兵用のはるか沖合にある、
さまざまなゴミ(その9割がプラスチック)の漂流物によって
形成された海域のことを指す。

太平洋ゴミベルト:プラスチックの濃縮スープとなった海
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【点描】シカ with トリs

Posted by msmoshi on 20.2011 イラスト   0 comments   0 trackback
ようやく完成しました。

本当は完成とは呼べないような出来ではありますが。

ボールペン3本ぐらいで描きました。
シカ with トリs

脳死

Posted by msmoshi on 15.2011 未分類   0 comments   0 trackback
先日学校の学部で専攻合宿がありました。

目的は日頃の研究の成果・経過報告と、後輩、先輩、教員の交流ということで
さまざまなプログラムが催されました。

そのうちの一つとして、4人一組となり、あるテーマに対してグループ間で討論する、
いわゆるディベートがありました。

正直やる前は自信がありました。

周囲から期待もしてもらっていたし、
なにより自分でもこういったものは得意だろうと思っていたからです。

しかし実際やってみると散々な結果でした。

御題は「脳死は死である」であり、それについて私のグループは
肯定側につかないといけませんでした。

はっきり言って、その時点で戦うのはかなり難しいな、
というのは見えていました。

しかしだからと言って討論することをあきらめていい、
降参してもよいという理由にはなりません。

それなのに実際に討論が始まると私を含め、4人の内の3人は役に立たず、
一人の女の子にほとんどすべての発言、反駁を丸投げしてしまいました。

本当に申し訳なかったです。

自分が負けたこと、発言できなかったことが悔しいというよりも
女の子一人にそんな役を押し付けてしまったことが申し訳なさ過ぎました。


いつもならもう少しぐらいはトピックに対しての意見が出てくるのに、
なぜあの日、あの時は全く浮かばなかったのでしょうか。

いや、浮かばなかったというよりも、
あの時は自分の中で客観性のある、説得力のある意見を組み上げることが出来なかった、
というのが正しいかもしれません。

後日、その時の後悔から、あの時どうしておけばディベートとしてちゃんと戦えたのか
というのを考えていました。

果たしてこれで本当に客観性はあるのか、相手を、審判員の人たちを説得できたのかは
今となっては確認しようがないですが、自分の中の考えを以下にまとめてみました。

------------------------------------------

「脳死は死である」

このテーマに対して肯定側の立場になった時、
人間の感情、主観、価値観を採りあげて話を進めても
まずもって勝つことはできません

重要なのはあくまで一般的な、生理学的な、社会的な「死」について
述べる必要があります。

そもそディベートというのがそういうものだからです。

例えば「犬」という言葉はあくまで動物の種としての犬であり、
これは一般言語における共通認識です。

個人の感情などを持ち出すのであれば、犬は「家族」であったり、
「ペット」であったり、狩猟のための「道具」であったりという
考えも出てきたりはしますが、それは一般的に共有されている考えではありません。

ディベートで求められるのは、テーマを客観的・一般的な定義として
確立させることです。

これらを踏まえて、この前のディベートの相手側の主張を起点に
反駁として以下私の意見をまとめていくと…


・国ごとに捉え方が違う為、脳死を死であるということは言えない
・脳死の本人の意思をくんで生かしてやるべきである
・その人をよく知る周りの人たちが判断すべきである



発言にはしっかり自分の立場(否定側)としての意見を言う必要があるのではないか。
国柄、社会性というのを考慮に入れるのであれば、、、
現在日本は後期高齢社会であり、医療費、社会福祉費は膨らむ一方である。
脳死を死として受け入れない場合、上記のような背景の一方で医療技術は発達しているため
その人達にかかる費用はますます増大する。
さらに医師・病床数の不足などが問題となっている昨今、
助かる見込みのある病気、怪我を持つ人たちが十分な医療を受けられなくなる可能性がある。
また、脳死を死として認定すれば、ドナーとして臓器提供することができ、
他に多くの助かる人が生まれる。
その周りの人たちではなく、全くの第三者からすれば、
脳死を死と認めることが道理なことなのである。


本人の意思を汲んで、というのはどうやって判断するのか。
脳死の人が生を望んでいるか、死を望んでいるかは
生きている内でしか判断することはできない。
さらに周りの人が生死を決めるという事であるが、
本当に本人の意思などを考慮しているというのは言い難い。
病院にかかる費用、世話をすることの手間などの問題から
死を選択するということも十分に考えられる。

治療を行う医師、ということにさらに言及するならば
世間では安楽死を行った医師が訴訟を受けるということが往々にしてある。
脳死=死ということを明確に定義しないままであれば、これは必然の事象であると言える。
結局手を下すのは本来第三者的な位置づけであるはずの医師なのである。
こういったことからも、本人、周りの人の中で共通認識があればいいという問題ではなく
第三者にもしっかりと認識できる「定義」が必要であるということがわかる。



「死」を認めないということは、「生かす」ということである。
私たちはまずこのことをしっかりと認識することが必要である。



【点描】カメレオンとキリン

Posted by msmoshi on 17.2011 イラスト   0 comments   0 trackback
ちょっと前に描いた点描です。
ボールペン3本ぐらいで描きました。

今も描いている途中のがありますが、完成まであと少し;

キリンとカメレオン

【メモ】メンタルリハーサル法

Posted by msmoshi on 30.2011 メモ   0 comments   0 trackback
別名イメージ・トレーニング法と言う。

メンタル・フィジカルの両面でパフォーマンスの向上を望める方法のこと。

例えば陸上選手が、
「誰よりも速く走れて、全く疲れず、筋肉がすごくつく」
というようなイメージを繰り返し想像しておくことで、
実際に練習をした際に、想像したことが効果として現れたりする。

これは精神的な問題を抱える患者に対して、
一種の催眠療法的なものとして提示されることもあり、
様々なことに応用することが可能である。

プロフィール

msmoshi

Author:msmoshi
筑波大学・大学院一年生。
デザインを勉強中。
手を出している範囲は浅く広く、プロダクト・web・CG・イラスト・エディトリアル・インターフェースなど色々興味あります。
現在CAD・CGソフト(Rhinoceros)を習得すべくパソコンと日々格闘中。

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